これを書き出したのは4月10日です。
寝不足です。昨日の就寝時間は深夜2時。
何をしていたかというと、小保方さんの記者会見のネット中継を見ていたから。
さすがに途中まででしたが、しっかり見てしまいました。
気になってしかたがなかったので。
もう、よくわかりません! (笑)
笑ってしまってはダメだと思うのですが、色々、思惑が入り混じりすぎて
何がなんだかわからなくなってしまっている印象です。
あと、女性が矢面に立たされている状況は同情してしまいたくなる。男の性。
マスコミ側もマスコミ側で、悪者に仕立てよう、トピックになる発言を引き出そうと
必死なのかしらないけど、的を得てなかったり、何が言いたいのかわからなかったり、
結論ありきだったり。
挙句の果てには感情論のような詰め寄り方で、代理人の弁護士に静止されて、
次の質問に流されてしまっていたり。
そうなってしまうと、小保方さん可哀想なんて思ってしまう。
これが、冴えないおっちゃんなら、断罪で終わってしまうだろうに。
人は見た目がなんとやらってやつですかね…。
この件、こんな疑惑だらけで言い訳だらけになるような、
ややこしい論文やら成果公表したのが悪い。
もっと精査して、議論して、研究なり論文なりにしていけば良かったのに。
それに尽きるんだと思います。
もちろん、筆頭著者の小保方さんの責任は大きいですが、
共著者である限り、やはりある程度の責任はあるのだと思います。
細部まできっちり読み込んでいただいて議論いただく先生と、
良きに計らえで完全にお任せいただける先生と、
これまでの経験では両極端です。私の場合。
もちろん、どちらがいいとか悪いとかわかりません。
ただ、どっちかだけに偏るのだけは勘弁して欲しいと自分では思ってます。
細部まで全員に読み込まれて議論が白熱されると意見が割れて収集がつかなくなりそうだし、
全員にお任せしていただくほど怖いことはない。
さて、今回の一件、個人的には研究者間の意識に一石を投じることになり、
御幣はあるかもしれないが、面白いと思っています。
私のフェイスブック内でも、研究者が多いこともあって、
記者会見で色々な投稿が飛び交っていて興味深く拝見してます。
さて、私が一番、印象に残ったワードが実験ノート。
ふと思った。
実験ノートの使い方、か…。
学部の学生実験の時にも実験ノートはありました。書いてました。
ただ、非常勤講師で学生実験を指導している時は…実験ノートが無かった!
私が学生実験で書いていた実験ノートも、実験マニュアルというかテキストを
写して、そこに結果や数値を書き込んでいくだけだったしなぁ。
スペースは、後から注釈を沢山書き込めるようにスペースを広めにとるとか、
見開きの左側が実験手順&右側にデータやメモを書くとか、
学生実験の担当の先生によっても微妙に指導も違うかったなー。
非常勤講師の時はマニュアルそのものに書き込み欄があったり、
別途記載しないといけないときはレポート用紙に書いてな、みんな。
そんな実験ノートのような、ただの写経かわからないものと学部時代は付き合って、
修士に入って以降は実験ノートはその流れで作ったけど、自己流。
だから今回の騒動で実験ノートが取り上げられて、
結構、あぁ気をつけなきゃ…って感じています。
測定データはその場でノートパソコンに打ち込む、
簡単な計算やメモ、ポンチ絵は裏紙で済ます、ミーティングにはスマホ (カレンダー)。
その裏紙のメモは、本当に必要そうならスキャナで保存してる。
そんなことをしていくと、どんどん実験ノートが遠のいてしまっている感じがしています。
実験ノートの意義を、しっかり認識していれば、そんなことにもならないのだけれども。
この記者会見以降、めっちゃ細かく実験ノートを書くようにしています。
研究会の競争、日本では論文を出したもん勝ちだったりしますが、
アメリカでは実験ノートが証拠になったりする。
今では、アメリカでも論文を出したもん勝ちになりつつあったりするとも聞くが、
アメリカに来て思うが、こちらの研究者はかなりページ数の多い分厚いA4サイズの
(質の悪い) ノートを愛用している。
意外とアメリカは装置はフルオートメーションが大好きで、
装置制御は全てパソコンでやりたがるけど、手書きも大好き。
そんなことを思いながら、この文章をどう着地させるか見えなくなった (笑)
人の振り見て我が振り直せ、ということでしょう。
私も含めて、この出来事で自分の研究スタイルを見直すきっかけになって、
もっと科学の発展に寄与していければいいですね。
さて、この件は裁判になってしまうのでしょうか。
裁判にしてしまえば…なんて風潮、嫌なんだけどな…。
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